№039 ツール・ド・インドネシア第9ステージ


Stage9 Banyuwangi-Kuta 147.0km
第8ステージ終了地点、そこはジャワ島からバリ島へと続く楽園のような景色。
最終ステージを前にして心身ともに疲れきった状態の俺には、海岸で見た朝日はこの上ないリフレッシュメントとなり、やる気を充填してくれた。

最終日はパレード走行後に一度フェリーへと乗り込み、バリ島へ上陸する。
ニュートラルスタートながらもスタート後に、一度フェリーに乗り込むことが新鮮で、ちょっとほのぼのする。が、キッチリと気合いを入れないと、上陸後に後悔することになりかねない・・・
バリ島に上陸後、オフィシャルスタートでレースは始まる。
スプリント賞争いはこの日の2回設定されているポイントで決まる。そのためスタートからピリピリ。俺もここでポイントを稼がないと3位以内に絡めない。3位は賞金、4位は賞金はない。大きな違いだ。
そして個人総合争いでは3位と4位の間は1秒。ここでも異常にピリピリした雰囲気を醸し出している。
スタートから集団はなんとなくコウデントソフのためにグリーンフィールドがレースを組み立てているが、集団内では安定している訳ではなく、なんとなく「今にも火を噴きそうな冷戦状態」でゴールを目指している。

俺はどうやってもスプリント賞で3位までしか上がれない。しかし3位に入ることは可能だ。
そのときにグリーンフィールドチームのメンバーから、なんとか共同戦線といけないものか?と相談される。
彼らはコウデントソフが2回とも1位通過し、スプリント賞のアブドゥーラが3位2回であれば、なんとか逆転できる。もしくは2位1回と3位11回なら同点だが、たしか1位獲得回数で上回るのではないだろうか・・・
グリーンフィールドのメンバーすべてが、俺がマルコ・ポーロで活動しているとき、一緒に戦ったメンバーだ。今回のレースでもレース以外でいろいろとレースのことで教えてくれと、相談される仲。ポロックはサウスチャイナシーでアシストのイロハを教えた選手だし、ルングにはトレーニングメニューを作ってやったり、生活面でも相談ごとでよくチャットしている仲だ。
基本的な部分では他のチーム、手を組むことは出来ないが、利害が一致するシチュエーションなら話は別だ。個人的には是非助けてやりたいと言う気持ちは強い。あえてどうすると言うことは言わないが、それはお互いシチュエーションがあえば、ということだ。

1回目のスプリント。やはりジャイアントが列車を作って突入してきた。
4位、そして5位の選手は3位の選手に対して1秒、そして3秒のタイムギャップ。ボーナスタイムで逆転できるからだ。
俺はコウデントソフをきっちりとマーク。アブドゥーラはコウデントソフがマーク。このラインはよほどどこかのチームが喧嘩を売る覚悟で奪う以外、到底入り込めない理尽くめのライン。俺がコウデントソフの後ろをキッチリと押さえてやることも一つはチームを超えたサポート。サポートと言うよりも利害が一致するからこその「アシスト」だろう。
この大会中でのスプリントで言えば、スプリント賞3位のセティアワンが唯一俺のポジションに競ってくる権利があるが、直接対決ですべて俺が勝っているんだからは入りようがない。俺はラスト500メートルでジャイアントの選手との間合いを計りながらスピードアップ。
アブドゥーラがコウデントソフに一気に捲くられ、俺もそのまま合わせるようにして2位通過。
この1回目のスプリントで俺の気持ちに火がついた。
あと2ポイントで3位に逆転できる。それに最後の伸びが自分の良いときのイメージで走れたので、2回目のスプリント、そして最後のスプリントでもいい感じでいけそうな予感がする。

2回目のスプリント。これでスプリント賞の1位2位も確定するし、3位も逆転可能。おまけに総合でも3位から5位が入れ替わる可能性がある。
グリーンフィールドが徐々にスピードを上げ、逃げをことごとく潰している。一体どういう形のスプリントラインなのかわからない。そのためすすプリントまであと1キロと言う地点までは無理をしないように位置を確保し、コウデントソフに上手くあわせていくのが理想だ。
アナウンスされた地点が来てもスプリントラインは来ない。そのため「もしかしてもうすぐか?」と言う思いの選手がアタックしていく。そのたびに逃げを潰しスプリントに備える集団。俺は逃げを作ることはせず、ただ喰らいついていく。

ラスト1キロ地点はキッチリと用意されていなかったのか役員が小さな旗を振っているだけ。
俺は
「多分後1キロ、かな?」
そんな気持ちで念のためスプリントに備える。そしてアブドゥーラがスプリント。そのときコウデントソフはまだラスト1キロがきていないと思ったのか、まったくスプリントすることなく終了。
俺も確認なくもがきを入れたため、アブドゥーラには届かず2位。ただこの時点で3位に逆転成功。俺は喜ぶことも束の間、次は最後のゴールでの区間賞に狙いを定めて気合いを入れなおす。

最終ステージと言うこともあり、小さな動きは多くなってくる。やはりジャイアントの総合逆転、そして区間賞を狙おうとするスプリンターのチームが動きを沈静化しゴールへと勝負を導こうとしている。
日本チームは既に2人しかいないから組織で動けない。俺は最終ステージ、「勝つ」ことを考え、今までの経験で最大限の力が引き出せる方法を模索する。
ここまで2勝を上げているコウデントソフをチームは完全にコントロールしゴールを目指している。俺はコウデントソフの後ろを支配すべくアピール。最終ステージと言うことで他の選手がハイエナのごとく彼の番手を奪いに来る。俺と廣瀬は彼の後ろをキッチリマーク。集団は大きな動きをすることなく(と言うよりも完全にコントロールされていると言うことか)ゴール地点へと近づいていく。

ラスト3キロになるとコースはかなり狭くなる。クタのビーチの町を知っている人にはわかると思うが、町の中はかなり狭い。そこをレースで通る。俺たち選手はいきなり走る道が多く、そこがどんな道なのかまったく知らない。
スタート前に廣瀬からラスト3キロはかなり狭く、前にいないと危険だと言う情報をもらっていた。だから俺は心の準備が出来ていたし、スプリントにかける最後の勝負どころも自分で組み立てられていた。はじめて走るコースだと、どうしても100%のモチベーションで挑むのは難しい。だが俺は廣瀬からの情報を元に頭の中でコースは見ていないが知り尽くしている。
ラスト1キロでスピードが上がり始める。
最終コーナーはおよそ700メートル。右へ深く、そしてビーチに面した道路のため外側は砂がかなり積もっている。俺はあえて外側でスピードを殺さないようにクリアー。あくまでコウデントソフの後ろと言う正攻法。コーナーの立ち上がりがスムーズにいったことで、脚は温存されている。

ラスト500メートル。俺が香港サイクルクラッシックで優勝したとき、チームメートで走ったワワン(インドネシア)が男らしい先行。番手にコウデントソフ。その後ろは俺だ。
お互いトップギヤにチェーンが入りロケットエンジンに点火。すごい勢いだ。だが俺もかかっている。踏んだ瞬間にコウデントソフに並びかける。
差せる!
そう思ったとき、コウデントソフにアクシデントが発生した。

彼のペダルからシューズが外れ、バランスを失いコース左側へ流れる。ちょうど俺の斜め前。俺はぶつかるのを避けるため、踏むのを止めざるを得なかった。その瞬間俺の目の前からゴールラインが遠ざかって行った・・・

5位。ワワンはそのまま逃げ切り優勝。
ビーチから見える光り輝くビーチが見えなかったら、怒りの矛先が分からなくほどに荒れたことだろう。それほどに勝てる自信はあった。
だが勝利の女神は俺の元に降りなかった・・・

全ステージが終了した。
この9日間の間にいろいろな事があった。
これもまたレース。結果には満足することはないが、後悔はしないようにしている。
このあとマレーシアで行われるアジア選手権に出場する。これが今シーズンのピークとなるようにしたいと思っている。

区間成績
1位 セトイョブディ(ペングラISSIジョギャカルタ)
2位 ヤコブレブ(ポリゴン・スウィートナイス) +同タイム
3位 ハイダル(レトゥア・サイクリングクラブ) +同タイム
5位 三船雅彦 +同タイム
8位 廣瀬 +同タイム

総合成績
1位 マッキャン(ジャイアント)
2位 ジャディシュキン(ポリゴン・スウィートナイス) +2分45秒
3位 セイェドレザエイ(アザド体育大学) +5分13秒
15位 廣瀬 +20分05秒
39位 三船雅彦 +1時間03分10秒

スプリント賞
1位アブドゥーラ()30ポイント
2位コウデントソフ(グリーンフィールド・フレッシュミルク)25ポイント
3位三船雅彦17ポイント