№002 '99フランドル一周 前編

masahikomifune12005-10-27


99年、フランドル一周に日本人として初めて出場した・・・
それはベルギーのワールドカップに、ベルギーのチームで外人が出場するということで(それもアジア人として初めて)大きなプレッシャーがのしかかっていた。
あからさまに監督へ不平を言うベルギー人チームメートもいたほどだ。
「なんで黄色いやつが俺たちの国のイベントに選ばれるんだ!」と・・・

フランドル一周の出場だが、前週末のE−3まで出場は教えてもらえなかった。監督は決めていたのかもしれないが、とにかく俺は1週間前まで知らなかった。
E−3はいい仕事をして集団から離れたが、リタイヤしたときに
「フランドルには出られないかもな・・・」
と漠然と思った記憶がある。
しかしレース後監督から

「しっかりコースを頭に叩き込んでおけ」

と言われたとき、嬉しさのあまりE−3のゴール地点からたった2キロしか離れていない自宅にどうやって帰ったか記憶がない。

普通ならフランドル一周の前哨戦としてデパンヌ3日間に出場するのだが、俺は選ばれなかった。多分大事をとらされたのだろう。フランドルを狙う選手には調整レースかもしれないが、普通に走れば3日以上走ることが困難なほどにタフで危険なレースだ。だから選ばれなかたのは正解だったとも思うし、反面きっちりフランドルを狙う選手のレベルを冷静に知っておいたほうが良かったという思いもあった。
当時の俺は今のようなレベルではなく、監督もきっとデパンヌを走ると必ず消耗するだろうと判断したのだろう・・・

スタート前にブルージュの街の中心での出走サイン。今まで見たこともないような観衆で興奮状態・・・

スタート直後からアタックするが皆同じ考えなので決まらず。それどころか自分のアタックが呼び水となって時速60キロ以上で集団は動いている。おかげでアタック直後に集団は一列で、どこにも入るところがなく結局集団の最後方まで下がって行き、かなり焦った。
そこからも延々とアタックが続くもまったく大きな逃げが決まらない。60キロ地点あたりでようやくスピードダウン。みんなコース脇で小便タイム。俺はその隙にチームメートのウィンドブレーカーなどをチームカーに運び集団復帰。落ち着きを取り戻そうと思っていたら20人ほどがアタックし、またもや集団のペースは上がった。
Kanegemの石畳を過ぎ、ワレゲムの郊外で補給。ここから勝負どころのフランダース丘陵へと突入していく。
(続く)

こだわりはただひとつ 走り続けること