№037 ツール・ド・インドネシア第7ステージ

Stage7 Malang-Jember 181km
第6ステージ終了後、病院で点滴が始まったのは午後5時半。ようやく点滴が終了したのは日付の変った午前2時半。同じ部屋には飯島に福島兄弟がいる。そして晩には廣瀬も担ぎ込まれた・・・日本人はすべて体調を崩してしまった。昨夜の食事なのか・・・
午前3時前、俺はスタッフに迎えに来てもらいホテルに戻る。そのまま下痢と悪寒は続き朝を迎える。

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№015 DEKKERと言う男

ラボバンクのエリック・デッケルが寂しい引退となってしまった。
エリックには昔から何か縁がある選手。
俺は87年に高校卒業と同時にオランダへ渡欧。当時ホームステイしていたのは「スケート」「コガミヤタ」「サッカー」で有名なヘーレンフェーンと言う北の街。フリースランド州と言う独自の言語と文化を持つ、アムステルダムから見ると「僻地」。
ステイ先だったホフさん一家の次男坊ヤンは俺より2歳年下で、オランダ北部の期待の星。そして俺にとって最初に越えなければならない「ライバル」だった。

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№036 ツール・ド・インドネシア第6ステージ

Stage6 Madiun-malang 183.6km
第6ステージは序盤こそ平坦だが、後半は厳しい登りが待ち構えている。後半までどうやってレースを動かしていくのか・・・他チームからの総攻撃は必至である。

朝食を食べようとレストランに入った瞬間、香辛料の香りで俺はいきなり倒れそうになり、そしてまったく食事を受け付けなかった。足が地に張り付いていない。俺はまったく食事を食べられないままスタートの準備をする。疲れているのか?
俺だけじゃなかった。

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№035 ツール・ド・インドネシア第5ステージ

Stage 5 Solo-Madiun 108.9km
総合リーダー、山岳賞リーダー、スプリント賞リーダー、そしてチーム総合1位・・・すべての賞を確保している。
俺の考えはいつもネガティブから入っているかも知れない。
1チーム5人と言うことを考えると俺は少し「やりすぎ」じゃないかと言う思いがあった。
残りはまだ5ステージある。すべてを持っている以上取りようがない。裏を返せば失う一方だ。何が一番守らなければならないもので、何なら失ってもいいのか・・・
一番大事なのは個人総合優勝。福島弟のポイントは上手く立ち回れば何とか守れる可能性はある。俺のグリーンジャージは一番手元を離れる可能性が高い。それは別に構わない。俺のジャージを取りにきたんじゃない。今は福島のリーダーが最も大事だ。

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№034 ツール・ド・インドネシア第4ステージ

’06ツール・ド・インドネシア


Stage 4 Purwokerto-Solo 245.1km
第4ステージはおよそ250キロもの長丁場。それはUCIのレギュレーションを本当にクリアーしているのかも不明だ。
俺が欧州で走っていた頃、UCIレギュレーションではクラッシックレースは200キロで誤差が10%以内。ただしパリ〜ブリュッセルは除く(250キロで誤差を含めて275キロ以内だった。ちなみにパリ〜ブリュッセルは2002年に287キロだったかで開催し、そのままUCIからペナルティ。翌年はカテゴリーを下げられてしまった)ワールドカップレースは240キロか250キロだった。
なんでも聞いた話なので定かではないが、本来は2日に分けて行うレースを日程の都合で合算。そしてそれはインドネシア車連始まって以来の最長距離レースとして、なんだかやたらともてはやされていた。

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№033 ツール・ド・インドネシア第3ステージ

’06ツール・ド・インドネシア


Stage3 Cirebon-Purwokerto 187.3km
今大会最初の山岳賞設定のあるステージ。186キロのステージで146キロ地点に山岳賞がある。およそ14キロほどで600mアップ。プロフィールだけを見ているとそれほどきついものじゃない。明日の250キロステージで1400m越えを2回するほうがはるかにきついだろう。今日は大きな動きはないのでは?と思いスタート。しかし実際はまったく違った。プロフィールからは想像も出来ないほどの急坂が待ち構えていたのだった・・・

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№032 ツール・ド・インドネシア第2ステージ

Stage2 Bandung〜Cirebon 133.1km。
山岳ポイントが設定されていない登りがひとつある。コースプロフィールを見るとおよそ200mほどの高低差だ。ひとまずは登りを越えてポイント賞争い、そして区間などを冷静にみていきたい。

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